禍話~第19夜より~
Gさんが仕事の都合で引っ越し、マンション暮らしをはじめて1年程が経った頃のこと。
平和だし、騒音もなく、迷惑な近隣住民もいない。
ここは良い環境だな、と感じていた。
そんな生活にも慣れてきた1年目のある夜、妙なことが起きた。
「オルゴールが聞こえてきたんです。どこからか分かりませんが…」
Gさんが夜寝ようと窓を開けて、ベッドに横たわっていると、風に乗ってかすかにそれは聞こえてきた。
テテテンテンテン……という柔らかな音色で、すぐにオルゴールだとわかった。
隣室や上下の階ではない。
外のどこかから聞こえてきた。
彼は高層階ではなく低い階に住んでいた。
音はこの部屋から少し距離がある場所で鳴っているように感じる。
あぁ、誰かがオルゴールを鳴らしてる。
夜ヒーリング目的で聞いてるのだろうか。
はてこれは、何の曲だろう…
-数秒聞いていてすぐわかった。
ディズニーの「It’s a small world」「小さな世界」だ。
-世界中どこだって 笑いあり涙あり みんなそれぞれ助け合う 小さな世界ー
うろおぼえだけど、確かこんな感じの歌詞だ。
そんなことを考えているうちに1番の終わり「世界は丸い ただひとつ…」まで鳴って、オルゴールの音色は止んだ。
ネジを回すやつでもフタを開けるやつでも、普通はネジが終わるまで鳴らすだろうに。
1番だけ聞いて満足してフタを閉めたのかな。
でもオルゴールって1回だけ聞いて満足。ってイメージ無いけどな。
しっくりこない気もしたが、気にせず眠りについた。
それから1週間も経たないある日。
ふと深夜の2時から3時くらいに目が覚めた。
すると外からまたテテテンテンテン…と「小さな世界」の音色が聞こえた。
あぁ、また誰かがオルゴールを鳴らしている。
この間は気づかなかったけど、これ生の音だなぁ。
スマホとかじゃなくて、本物のオルゴールから鳴らしてるやつだ。
僕が目覚めたと同じタイミングで鳴るなんて、変なこともあるもんだ…
寝起きのぼんやりとした頭で考えている内に、ふと、こう思った。
-この音はどこから聞こえてくるんだろう?ー
マンションの敷地内じゃないな。
目の前の道路でもなさそうだ。
もう少し遠い。
でもそんなには離れてない…
そうだな、道路を渡っった先の公園だ。
ちょうど公園の真ん中辺りから聞こえてくる、って距離感だな。
そうか、これは公園の中で鳴らしてるんだ。
でもこんな夜中に公園の中でオルゴール鳴らすって…
こんな考えを巡らせている間にオルゴールはまた「世界は丸い ただひとつ…」まで鳴り終わり、静かになった。
その時、突然だった。
Gさんの部屋のクローゼットの中からテテテンテンテン…とオルゴールが鳴りはじめた。
「上から布をかぶせたような、くぐもった音だったんです…」
もちろんGさんの部屋にオルゴールなどない。
クローゼットの中に音楽を流すスピーカーのような物は何も入れていない。
ビクッとして掛け布団を掴みつつも、冷静に耳をすませた。
これは隣の部屋から聞こえてきてるだけなんじゃないか?
10秒ほど息を止めて確かめた。
だがやはり「小さな世界」は自分の部屋のクローゼットから聞こえてくる。
電気をつければよかったが、その時は判断力が鈍っていた。
それに窓からは月明かりが入ってきていた。
ゆっくりとベッドから降り、クローゼットに近づいていく。
この中に何も入っていないことを確認しなければ、怖くて寝れない。
それに放っておいたら、また鳴り出しそうで怖い。
次は聞こえ方が違ったり…等と想像するともっと怖い。
足音を殺しながら移動している内にオルゴールはまた「ただひとつ…」まで鳴らし終えた。
部屋の中が静寂に包まれた。
Gさんはクローゼット扉の取っ手を両手で掴み、一気に開けた。
そこには女が立っていた。
掛けてある洋服をかき分けるようにして、女の後ろ姿が見えた。
「え…」
Gさんが言葉を失っていると女はくるりと回り、こちらを向いた。
のっぺりとした、無個性な顔立ちだった。
街ですれ違ってもすぐ忘れてしまうようなタイプの。
なんの感情もない顔だった。
死んだ魚のような目でGさんを見つめている。
ふと女と目が合ったような気がした。
すると特徴のない目と口が、いきなり大きく開いた。
「せかいーじゅーうー どこだーあってー
わらいーあーりー なみだーあーりー」
女は「小さな世界」を大声で歌いはじめた。
腰を抜かしそうになっているGさんを尻目に、女は無表情のまま歌い続ける。
「みんなーそれぞーれ たすーけあうー
ちいさーなー せーかーいぃーーー」
Gさんは扉を閉める余裕なくクローゼットの前から逃げた。
なんなんだ、誰なんだよこの女は。
何故俺の部屋のクローゼットの中にいるんだ。
クローゼットの奥からは女の歌がまだ聞こえている。
「せーかいーーはー せーーまいーー
せーかいーーはー おーーなじーー」
Gさんは玄関へ走った。
スマホも財布も持たず、家の鍵だけ握って部屋を飛び出した。
「せーかーーはー まーるいーー…」
廊下を走り外階段を駆け下り、外に出て道を走った。
自動販売機がいくつも並ぶ道端まで来ると、Gさんはようやく立ち止まった。
自動販売機の明かりに少し安心した。
「…何で?何あれ?…ちょっとマジ…意味が分からん…」
自動販売機の手を置いて息を切らせながら、かすれた声で言い続けた。
頭の中は混乱しきっていた。
自分の部屋が事故物件だなんて聞いていないし、今まで不審な出来事もなかった。
近所で事件や事故も起きてない。
祟られるようなことをした記憶もない。
越してきてまだ1年、職場に友人知人はいたが深夜に連絡…ましては泊めてもらうような間柄ではまだない。
財布もスマホも家に置いてきてしまったので仕方なく道端で朝が来るのを待った。
オルゴールや歌声が聞こえてきたり、女が現れるのではないかとビクビクして過ごした。
「明け方になり、もう大丈夫だろうと部屋に戻りました。
もしかしたら、夢だったかもしれませんし…」
Gさんの部屋に変化はなかった。
クローゼットも開いたまま。
これで自分がここを開けたこと間違いのない事実であり、夢ではないことが分かった。
朝日が窓から射し込む中、そっとクローゼットを覗いてみた。
そこには女の姿はなく、服や荷物も一切乱れていなかった。
Gさんは寝不足と疲労を抱えたまま仕事に行った。
「そこのマンションって、管理人さんが常駐してないんです。
管理人の関係者のおばあさんが週2日くらい掃除に来るんです」
数日後の朝にそのおばあさんに行き会った。
この間のことについて尋ねてみたい、とGさんは思った。
しかし「部屋に女が出て歌を歌った」などと言って信じてもらえる気がしない。
おはようございます、と挨拶してからおもむろにこう言った。
「あのー、この辺で夜なんですけどね」
「はいはい」おばあさんは愛想よく返事をしてくれた。
「オルゴールの音がしてくるんですよね」
「あぁ、オルゴールの音ね!あなたも聞いたのね?」
「あ、ご存じなんですね。以前からですか?」
「そうそう、いつからなのかは分からないんだけど」
おばあさんはほのぼのとした口調で答える。
「あれね、季節とか時期によって曲が変わるんだよねぇ」
「えっ?……あ、そうなんですね…」
曲が変わると聞いて驚いたが、どうにか誤魔化した。
「いや、この前は真夜中に聞こえてきたので、何なのかな?と思いまして」
「あー。あれは気にしなくてもいいから。
何かオルゴール鳴ってるなーって思ってればすぐ止むから。
ね?実際すぐ止んだでしょう?」
「そうですね、1回鳴ったら終わりました」
「うん、うるさくないでしょ?少し聞こえるだけね」
「えぇ、かすかに聞こえるだけなので、決してうるさくはないんですけど…」
「あれね、どこからかなって思わなきゃ大丈夫だから」
「え?…どこから?」
「この音どこから鳴ってるのかな、って思うとよくないのよ」
「…あの、つまりどこから聞こえてくるのか考えると…」
「あーダメダメ、それを考えちゃうと絶対ダメ。場所は気にしちゃダメよ」
「…」
「そしたら大丈夫だから。何ともないやつだから。ね!」
そういうことは早く言ってほしかったとGさんは思ったそうである。
「…それからね」
これで終わりかと思いきや、彼Gさんはまだ話を続けた。
「後から気づいて1番怖かったことがあるんです」
彼の部屋のクローゼットには上下を分ける仕切り板が入っている。
上段にはハンガーで服を掛けて、下段には衣装ケース等を詰め込んでいるという。
「はじめはね、あの女は『クローゼットの中に立ってた』と思ったんですよ。
でも無理なんですよね。
下段には荷物があるし、それに仕切り板があるんですから。
だから、あの時は瞬間的に『女が立ってる』って思ったんですけど、もしかしたらあの女、仕切り板から上。
つまり上半身しかなかったんじゃないかって…」
暗いクローゼットの中にいた女の特徴のない顔は今でも思い出せるのに、体がどうなっていたのかは思い出せない。
Gさんはそれがとても怖いんです、と語った。
彼はまだ、そこに住んでいる。
夏や冬はもちろん、春も秋も、夜になったら窓を完全に閉めるようにしている。
オルゴールの音色が、出来るだけ聞こえないようにしているのだそうだ。
著作権フリーの怖い話をするツイキャス、「禍話」シリーズの過去放送話を編集・再構成しています。
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